【人間関係めんどくさい疲れた】と思ったときの気の持ち方とは

「人間関係めんどくさい」「人付き合いは億劫」「うまくいかない」

私たちが生活していくうえで切っても切れないものが周りとの調和・人間関係。

職場で学校で、そして仲の良い友人との間もときにはギクシャクすることも。。

おはようございます。ウチケンです。

今回のブログ記事は、「【人間関係めんどくさい疲れた】と思ったときの気の持ち方とは」と題しまして、なんら心理○○の資格など持っていないふつうの人間がふつうに仕事をしふつうに暮らしている一労働者である私が、「人間関係に悩んだときの気の持ち方」でストレスやプレッシャーから解放されるのでシェアしてみたいと思います。

「対処法」ではなく、あくまで「自身の気の持ち方」になりますが、これを実践することで驚くほど楽になれます。

このブログ記事を読み終えたあと、少しでも読者様のお気持ちが軽快になれたのなら幸いです。

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基本、相手は変わらない 変えるのは自分

「こういうところ直した方がいいよ」

ダメなところはダメと家族、尊敬できる先輩や仲の良い友人に諭すように告げられるのであれば、思考・行動といったものは良い方向へと変えることができます。

ですが、それは若いうちだけ。。

社会に出て荒波にもまれ家庭を築く頃になれば、ほぼ人格は形成されています。特に40も過ぎれば「我」を全面に押し出す完全体となり、独身の頃ならできてたはずの周りへの気遣いも面倒にさえ感じ、本人も気付かないうちに周りとの調和より「エゴ」を押し通すようになってしまいます。

この「我」や「エゴ」に気疲れしてしまい、付き合いをやめてしまう方も多いのではないでしょうか。

ですが、そんなことを言っていたらきりがありません。人付き合いを面倒に感じてしまったら、すべての人との関わりを絶つことになってしまうかもしれません。

そして、人は一人では生きてゆけません。悩んだり傷ついたりしたときには手を貸してくれアドバイスをくれます。またその逆も然り、困った人を助け、泣いてる人に手を差し伸べる。持ちつ持たれつこそが人付き合いというものではないでしょうか。

その人の嫌なところだけを見てしまうと嫌な部分がどんどん大きくなり、嫌い・苦手と判断し避けるようになってしまうので、悪いところも良いところも全部ひっくるめ、その人の全体で見るようにしましょう。そして、基本、相手の考え方を変えようとしてもそもそも変わりません、変えるのは自分の考え方。

では、どういう考え方にすればよいのか…

人間社会は2:6:2の法則で成り立っている

人間関係というものは 2:6:2 の法則で成り立っています。

2:6:2 の法則とはいったい何か…

2:6:2 の「2」とは、自分と同じ考え方の人、つまり自分に賛同してくれる人が2割はいるよという意味になり、もう一つの「2」は、自分とは異なる考え方の人・馬が合わない、つまりはアンチを意味します。
どんなに優れた人であろうと、人格者と評判の人でも聖人君子と名高い人でも国民的アイドルにでも、2割はアンチがいるよという意味になります。

そして、根本的に思考が合わないのであれば無理に合わせる必要はありません。
相手の考え方を変えようとするから・気にかけるからストレスになり自身が疲弊してしまいます。

「合わないものは合わない」と割り切ってしまえば、結果、負の感情にとらわれることなく気持ちよく前に進めることになります。

なのですが、「これはこうしたほうが良い」、「こうするのがいちばんである」、「こゆう場合はこうするのが適切だ」というように、物事の考え方とはそのときそのときで違います。馬が合わないと感じていたあの人も、他の物事では考え方が合うかもしれません。大切なのは相手の合わない部分だけを見るのではなく、その人の全体像で見るようにしましょう。

気になる残りの「6」とは何か…

それは、「どっちつかずの人たち・様子見の人たち」です。

例えば仲間でグループ行動するとき、大抵のケースが一人がプランニング、ほとんどの人が「おまかせ」ではないでしょうか。グループが大きくなれば反感する者が現れ、やがては衝突・亀裂・離別となるケースも多いのではないでしょうか。

ですが、「6」の人たちはどっちつかずの傍観者、今後どちらが何らかの企画・計画しても付き合っていける立ち位置でいるようにします。好き/嫌いだけで判断・行動してしまうと自身が忌避されてしまいます。

俗世とは、「物事とはこうである」と主張すれば、反感も覚悟しなければいけません。ほとんどの場合、物事を白黒はっきりさとせず、曖昧にしておいたほうが良いケースが多いのです。

どっちつかずの人たち・様子見の人たちを味方につけよう

自身に賛同してくれる人・同じ考え方の人が2割、馬が合わない・反対意見の人が2割、どっちつかずの人が6割と筆記させていただきました。

反対意見の人達は割り切ってしまうにしても、6割のどっちつかずの人たちを自身の味方につければ心強いもの。その6割の人たちを惹きつける力のことを「カリスマ」といいます。

カリスマ
超自然的・超人間的・非日常的な資質や能力。神の賜物または天賦の力で、教祖・予言者・呪術師・英雄などに見られるとされる。一部の人々が持つ、他の人々を引きつけ感銘を与える個人の性質

引用:Wikipedia

カリスマと聞くと、私たち一般人からしてみれば、周りに大きく影響を与える人みたいなイメージで雲の上のような存在にさえ思えます。
こういったある程度のものは、天賦の才といいますか、生まれながらにして備わっているのかもしれません。ですが、責任感、行動力、他人を思いやれる気遣い、面倒見のよさ、威風堂々とした姿勢、そして、しっかりとした信念を持つことが周りを惹きつけるのではないでしょうか。

そして、良い行動をすれば自信に満ち、その自信が覇気を纏い、知らず知らずのうちにカリスマ性というものが養われていくのでしょう。

馬鹿は死ななきゃ治らないの真意

一つ、面白い話をしてみます。

よく耳にする言葉に「馬鹿は死ななきゃ治らない」という言葉があります。

広沢虎造が語った浪花節「森の石松」のセリフで、「愚か者という性質は治そうとしても治しようがない、馬鹿を治療する手立てはない、馬鹿者であることは手の施しようがない」という意味合いで、昭和十二年に流行語になったといいます。

ですが、よくよく考えてみると、この言葉に矛盾を感じませんか。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」って、治るも治らないも死んでしまったら意味がないし、治ったところで生きていなければ改まった証明にもなりません…

実はこれ、馬鹿は死ななきゃ治らないの「治らない」は「直らない」で、「世直し」のことなんです。

世直しとはどういうことなのか、例を挙げてみましょう。

・「地球は平ら説」と「地球は丸い説」
時は紀元前。
昔の人は、「地球は平らで端まで行くと滝があり、そこまで行くと落ちてしまい二度と戻って来れない」と信じられていました。
「地球は丸い」と認識したきっかけは、地図作りのための測量・観測で一辺数十㎞のような巨大な正方形を地上で作れないことが端緒となりますが、そんなこと誰も信じません。「丸いわけがない」、「馬鹿ではないか」、「何を言っているんだ」と罵詈雑言の雨あられ。

そして、約2000年後の1522年の大航海時代、マゼラン一行が船で地球を一週したことで地球は丸いと証明されました。しかし、「地球は平らだ」と信じいる人たちには自身が体験したことではないので信じることができません。ここで「地球は平ら説」と「地球は丸い説」と完全に二分化してしまい論争が繰り広げられてきました。

後に「地球は丸い」となるわけですが、これは、「地球は丸い説」の人が根気強く説得して納得してもらったのではなく、「地球は平らだ」と信じてきた人たちが死に絶えたからです。

・「空が動いてる説」と「地が動いてる説」
上と似たような話に「天動説」と「地動説」があります。
人類が誕生したときから、天が自分(地球)の周りを回っているのがあたりまえなこととして生活・繁栄してきました。
寒さを凌ぎ、暑さに耐え、暖と涼に歓喜し、ときには天災や自然災害に「神のお怒りだ」と恐怖します。私たちの祖先は、地球が自転していることも解らずに、その刹那を懸命に生きた証しを私たち後世に紡いでいます。

そのうち、「地が動いているのだ」と提唱する人が現れます。話を傾聴し理解する人も。。
しかし、この世に生を受けてから、自分(地球)を中心にずっと天が回っているのを自分の目で見て歳を重ね、あたり前だと思ってきたことを今さら「地が動いてる」なんて受け容れられず、「アホか」、「相手にするな」、「頭おかしいんじゃねーか」と石をぶつけます。

やがて時は経ち、「天動説」と「地動説」で長く議論されてきましたが、1851年、物理学者のレオン・フーコー氏が振り子を用いて地球の自転を証明しました。しかし、まだ信じられない人たちも多数派。

現在では「地球は自転している」とすべての人が認識してますが、これは地動説の人が天動説の人を長い時間をかけ説得し納得したからのように思えますが、そうではありません。天動説の人が死に絶えいなくなったからです。

・めんどうに感じる人付き合い
では、私たちの身近で例えてみましょう。

傲慢で横柄、気に入らなければすぐに暴れる無骨者・野蛮人。尊大で不遜、昔の考え方をごり押すいくつになっても居座り続ける組織のトップ。ちょっとしたことが深淵の恨み、兆倍にして返してくる執念深い粘着気質なメンヘラさん。

人は一人で生きてゆけません。持ちつ持たれつ、助け合いの精神で社会が成り立っています。これは、義務教育の集団生活の中で培われてきました。そこに調和を乱す異質な存在。本来であれば、関わりたくない・避けたいというのが本音。しかし、人付き合いや周りとの兼ね合いもあり、関わりたくなくても関わりざるをえないもの、とくに仕事の上司やトップの人なんかは、遠くから見ているぶんにはまだしも、実際に害を被っている人にはたまりません。

人が生活する・輪の中で行動する以上、理不尽極まりなくても関係を継続しなければなりません。

ですが、もし、その人が7くなったら…

「お世話になったのに」、「残念です」と、故人を蔑むことはしません。生きてるときはあんなに文句を言ってたのに…。

彼の人にも家族や親御さんも存在しますので、もちろん悲しむ人はいるでしょう。

ですが、世の中のほとんどの人は… 実際に被害を被っていた人達の本心・本音は…

「馬鹿は死ななきゃ直らない」の例を挙げてみました。

合わせてお読みいただきたい

今回のブログ記事は、「【人間関係めんどくさい疲れた】と思ったときの気の持ち方とは」と題しまして、人付き合いでストレスが緩和される方法を筆記させていただきました。もしお仕事を辞めたい疲れたとお考えなら一読ください。
【仕事辞めたい疲れた】と思ったときに読んでもらいたいブログ

また、お仕事が楽しくない・辞めたいけど辞められないと思っているなら、対処法などを記しています。
【仕事楽しくない辞めたい】と思う理由4選とそれぞれの対処法

続きまして、「そもそも親ガチャにはずれたからムリゲー」と思われている方、たとえはずれだとしても未来は自分で切り拓き創るもの。
【親ガチャにはずれた】対処法と親のせいにしないマインド(信念)をつくる

重ねまして、「なぜ人は存在するのか」明確な答えをみつけたので綴ってみました。
【人はなぜ生きるのか】存在する明確な答えを見つけたので綴ってみた

最後に

人は一人では生きてゆけません。周りに親切に接すれば、自身が困ったときに必ず助け船を出してくれます。

ですが、「合わないものは合わない」。無理に合わせようとすればストレスで自身が疲弊してしまいますので、割り切ってしまうことも大切。それよりも、中立の人達を惹きつける力を身につけましょう。そのためには、泣いている人に声をかけ、傷ついてる人に手を差し伸べ、困った人を助ける。
周りに「思いやり」のある態度で接していれば、人は自然とあなたに惹かれるもの。

周りの人達、地域の人達、すべての人達の幸せを願うぶれない信念こそが、人を惹きつける最大の武器になるのだから。

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