おようございます。ウチケンです。
先日、某県某○○園にて○○士による児童虐待が発覚。
口もきけない・言葉の意味も理解できない○歳児に対し怒鳴る、たたく、つねるなど、他にもここでは筆舌し難い行為が確認されました。
明るみに出た経緯は、同僚の○○士による上司へのリーク。
しかし、園側は隠蔽…??
市に告発しようとした同僚の○○士に土下座をして口外しないように求めたとか…。また、口止めの誓約書を全○○士に書かせるなどしたそうです。
私も育児・子育て中の身、○○士側のストレスもわからなくもないですが、見るに見兼ね、告発した同僚の○○士のように、上手にストレスに向き合えている方もいます。ストレスのはけ口を無力な児童に向けるのは、やはり許されざる行為かと…。
この一連の騒動で私が一つ気になったのが、報道やSNS投稿された「○○士らしからぬ茶髪」、「○○士のくせに茶髪」といった容姿について。
「○○士はカラーしてはいけないのか、容姿は関係ないだろ、容姿は自由だろ」と思う方がほとんどだと思いますが、本質はそこではないのです。
今回ブログ記事で考察するのは、「見た目」について。
では、掘り下げていきます。
やはり世間は「見た目」で判断する
就職・転職活動時の面接、お仕事の商談、または飲み会やパーティー、お見合いにマッチングアプリなど、特に初対面の場においては、やはり人は見た目で判断するもの。
そもそも「見た目で判断する・される」とはどういうことなのか…
「見た目」とは、相手が受ける「第一印象」のこと。
第一印象とは、視覚・聴覚で数秒~数十秒で決まり、見た目と言語・しゃべり方で相手がどのような人物かをイメージします。
そして、「人物のイメージ」とは、世間的な一般論に加え、過去に自分と関わってきた人、つまり友人や知人、同級生、そして親族といった自分の周りにあてはめ、主観的な経験で「こっち系のタイプかな」とカテゴリー分けをし、しっかりしてそうか頼りなさそうなのか、きちんとしてそうなのか気弱そうなのか、自分と気が合いそうなのか苦手なタイプなのか、そもそも関わらない方がいいのかを判断します。
人を判断する基準が、「世間的な一般論と過去に関わってきた人物にあてはめる」、それが人の心理ならば、見た目で判断する・されるというのは自然の摂理なのかもしれません。
例えば、面接でのハードルは高く、見た目に加え言動、行動、思考すべてにおいて高水準が求められます。
お仕事の商談の場におきましても、スーツの着こなしがだらしなければ信頼できません。かといってキッチリ着こなしていても声が小さければ不安でしかないです。
また、お見合いにカジュアルすぎる格好や、マッチングアプリの初対面で無精ひげで来られたら「やる気あるのか」とも思いますし。..かといって、あまりにちゃんとしていても結婚詐欺師なんていうケースもありますが。。
実は…
彼らは「人は見た目で判断する」という心理を巧みに利用し、ちゃんとした格好、言動、行動、思考、そして偽の肩書きで信用させるのです。
見た目とのギャップが周りを惹きつける
人は見た目から推察し、「世間的な一般論と過去に自身が関わってきた人物にあてはめることでカテゴリー分けをし、ある程度の人物像をイメージする」と先に述べました。
ですが、人は十人十色。
カテゴリーに分類しただけで、そこの枠内に留まっているほど単純なものでもありません。イメージと違った内なる部分が垣間見えた場合、それが興味・関心への対象と変わります。見た目と中身に相違があることを「ギャップ」と言います。
では、興味・関心、そして好感が持てるギャップを紹介します。
- 頼りなさそうに見えて包容力・決断力がある
- だらしなさそうにみえて人生設計がしっかりしてる
- 遊び人風に見えて身持ちが固い
- 派手な見た目だけど家庭的
- いつもおふざけキャラだけどルールやマナー、モラルがしっかりしてる
- 華やかだけどとてつもなく努力家
- 超クールなのに超スマイル
- 強面だけど犬猫大好き
などなど…。
強面だけど犬猫大好きなんて、特に萌えるのではないでしょうか。
反対に、見た目のイメージが良く中身が伴っていなかったり・正反対であった場合、そのギャップがマイナスになってしまいます。例を挙げますと、家庭的なイメージの女性は男性受けがいいものですが、実は掃除嫌い・料理苦手だとがっかりされます。
外見から抱くイメージが悪いようであれば、一瞬見えるギャップに興味関心が湧き、好感を持たれる対象となるのです。
「見た目」の本質とは
冒頭で述べた「○○士らしからぬ」や「茶髪のくせに」といった、見た目から抱く周囲の評価。人は見た目で判断するのであれば、しかたのないことかもしれません。
では、先に筆記した「本質」とは…
もし、○○士がそのような行為をせず、気さくで誰にも優しく心配りができ、園児に人気のある方だったのなら、周囲の評価はどうなっていたでしょうか…。
きっと、「亜麻色の髪の美人○○士」と絶賛されたでしょう。
ということは、周囲の評価なんてものは、その人の言動・行動でどのようにも変化するものなのです。
よって、それにより導き出されるアンサー…
見た目なんてものは関係ありません。自分が正しいと思ったこと・良いと思ったことの信念を見定め、しっかりとした堂々たるスジを1本貫き通してください。評価なんて後からついてきます。
そして、「正しいと思うこと・良いと思うこと」とは、自分の行いを他人に見られて「やましい」と思ったり「まずい」と思うかどうかです。そのように思うのであれば、その行いは「正しいこと・良いこと」ではありません。
正しいこと・良いことであると判断したのなら、周囲なんて気にせず恥じることなくその行いを続けていってください。きっと、知らず知らずのうちに信用や信頼、尊敬や憧れといったものが後からついてくるでしょう。
まとめ
- 人はやはり「見た目」で判断する
- それが人の心理であるのなら受け容れよう
- 外見と中身に相違があることを「ギャップ」という
- 周囲は「ギャップ」に惹かれる
- 見た目なんて気にせず、中身(信念)で勝負
- 「正しい」と思えることを継続するのみ
- そうすれば周囲の評価なんて後からついてきます
最後に
「ルッキズム」という言葉があります。
looks(見た目)とism(主義)を合わせた造語で、「外見至上主義」といった意味合いになり、容姿の良い人物は高く評価し容姿が魅力的でないと雑に扱うといった人を外見で評価・差別する思想のこと。
周囲から見た目・外見だけで判断され、嫌な思い・悔しい思いをされたから、こちらのブログ記事に辿り着かれたのだと思います。
ですが、世間一般論として、「人は視覚と聴覚で判断する」というのは至極当然のことであるため、「見た目・第一印象で判断される」というのは、仕方のないことなのかもしれません。
「仕方のないこと」とは「不可避なこと」。なので、開き直って寛大に受け容れるようにすればストレスも多少なりと緩和されます。逆転の発想ですね。
自信を持って堂々としてください。見た目はあなたの個性です。そして、見た目より、あなたの言動・行動・思考に惹かれるのですから。
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では。