才能とは|才能の見つけかた。それは続けられること好きであること。

「私には才能がない」、「結果が出せない」、「心が折れた」、「なにをやっても続かない」

誰でも一度は経験したことがあるであろう、挫折、失敗、絶望、精根尽きた、おまけに三日坊主、

ダイエットの三日坊主はよく耳にしますね。

おはようございます。ウチケンです。

今回のブログ記事は、【才能とは|才能の見つけかた。それは続けられること好きであること。】と題しまして、才能について深掘りしていきます。

「実績もないやつがなにを言ってやがる!」

と言う声もあがりそうですが、まぁふつうの一般人なんてそんなものありません。
すが、ふつうの人が綴る記事だからこそふつうに共感できるのではないでしょうか。

私が若かりし頃に経験した挫折、失敗、絶望。苦しいことや悔しいこと、たくさんの涙をながしてきた経験があるからこそ綴れるのです。そして、それを私の才能、文才に載せてお届けします。

私の才能、文才_
自分で言ってしまいましたが、これには理由があり後に掘り下げていますので、とりあえずご容赦ください。

あなたの才能を一緒に見つけましょう、探しましょう、開花させましょう。

このブログ記事を読み終えたあと、読者様の才能に気付ける一助になれれば幸いです。

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才能とは

そもそも才能とはなんだろう。

「才能」を辞書で引くと、【生まれつきの能力。またその働きのすぐれていること】と書かれています。

上記を私なりに考察しますと、【個人の先天性の能力、つまりは得手・不得手があり、周りよりなにかしら優れているところがある】というような解釈になります。

「おいおい、何を言っている。それなら自分も含め才能だらけじゃねーか」、「私にはなにもないんだけど」、「読むだけ時間の無駄や、寝るべ寝るべ」

大抵の方がそう思い野次を飛ばすことでしょう。

なのですが、一つだけ確実に言えることがあります、それは、才能とは自分自身では気づきにくい・分かりにくいものなのです。
要するに、誰もが皆、周りより秀でた何かしらの能力が備わっているのですが、物理的に自分を見ることができない・視界に入ることがないからただ気づかないだけ、わかっていないだけ、そして知らないだけなのです。

物理的に視界に入らない_
人は他人を観察・洞察することができても、人間の構造上自分自身を見ることができません。故に、向き/不向き、得手/不得手、適正/不適正が自分では判断できにくいものなのです。



才能とは気付きにくくわかりにくいもの

では、なぜ才能とは気づきにくくわかりにくいものなのか、先に述べた【人間の構造上、自分を見ることができない・視界に入ることがないから】という物理的な理由の他に、もう一つは心理的なものになります、それはズバリ、当たり前のように物事ができてしまうからです。

すなわち、自分ではふつうにできてしまうこと・やれてしまうこと・こなしてしまうようなことが、イコール他人もやれて当然と錯覚してしまうから、見つけ方がわからない・見つからないと思い込んでしまうためです。ここで上述した「物理的に自分を見ることができない」とも繋がってきます。

例えば、冒頭で紹介した「私の才能、文才に載せてお届けします。」について。

私は低学歴、低収入、はっきり言ってしまえば底辺の落ちこぼれの部類の人間だと認識しています。私ごときがこの程度の文章が書けるのであれば、勉強のできる人、頭の良い人、つまりは優秀な人であれば、もっと優れた文章が作れるであろうと考えるのはあたりまえのことです。

なので、私自身、文才があるなんて思ったことも考えたこともありませんが、そう言われることがあり、頭の良い人、優秀な人にそう言われれば、「そうなんだ、そうかもしれない、いや、そうだったんだ!」と気づかされます。


 あなたの才能の見つけかた

その判断基準は、「好き/嫌い」、「楽しい/苦しい」の二者択一です。

今、あなたが始めようとしていることは好きですか嫌いですか、続けていることは楽しいですか苦しいですか。

その判断基準をもう少しほり下げてみます。

・好き/嫌い
これから始めようとしていることは、「理由のために行動」するのでしょうか、「理由付けのために行動」するのでしょうか。

学校の成績を上げたいから塾に通う、モテるらしいからサッカー部に入る、強くなりたいから格闘技を始める、親に言われるがまま何かを習う。
このように理由があるから物事を始めるケースは
残念ながら才能の範疇ではないでしょう。もちろん、やってみて才能を開花させるケースもいくつもありますが、ほとんどの場合、理由にやらされている以上なかなか花を開かせることはできません。

では、「勉強が好きだから塾にも通いたい」、「ボールは友達だからサッカーをしていたい」、「ケンカが好きだから格闘技を始める」、「やってみたいことがあるから親に訊いてみる」

このように、本当に好きなことを始めようとしているのなら理由はあとから付いてくるもの。理由にやらされるのではなく、本当にやりたいことなのかやりたくないことなのか、好きなことなのか嫌いなことなのかを見極めてから行動するようにしましょう。

・楽しい/苦しい
いま続けていることは、楽しいですか/苦しいですか。

私は、もと市民ランナーです。
体を動かすことが好きで、20年以上、健康維持や体力向上のためランニングをし、体づくりのためにジムに通っていました。

私は、もと市民ランナー_
今現在では、若い頃の無理がたたってか変形性膝関節性と診断、骨がすり減り走ることができなくなってしまいました。
いつか息子とかけっこができるよう、週に3日ほどてくてく歩きながらリハビリ中です。みなさん、ほどほどにしてくださいね。

同い年の友人に誘われるがまま、各地でのマラソン大会や駅伝にも参加するようになりました。

やるからには速く走れるようになりたい、走り友達と併走できるくらいになりたい、フルマラソンで4時間を切りたい。目標は高く理想を現実にと続けてはみましたが、いやまぁ走り続けているときのあのゼーゼーする感じ、唾を飲み込んだとき血の味や凍てつく空気を吸い込んだときに喉や肺にヒリヒリとくる乾き、(あぁ、そもそもえらいのが嫌いなんだ、なんでこんなに辛いおもいをしてまで走るのか)と、私は健康維持や体力向上という理由のためにランニングしていたのだと気付かされたのです。

ですが、友人はそれすらも「気持ちがいい」そうです。
ランナーズハイと言うのでしょうが、私から見たらドM、とてもその領域に達することはできませんし、達しようとは思いません、なぜならえらいから。単純に。。

「目標や理想のために日々頑張っている、毎日の鍛錬がいつの日か実を結ぶ、継続は力なり続けることが大切である。」

もちろん大事なことであり、続けることで成果に繋がることもありますが、「僕は頑張っているんだ・私は一生懸命だ」と努力に思っている時点で、好きでやっている人には敵いません。
苦しいことや辛いことを〝楽しい〟と思えることが、秘めたる才能の1つの探しかたなのではないでしょうか。


好きなことは続けられる! …なのですが..

苦痛や苦難、辛いことや痛いことさえ「気持ちがいい」と思えることが本当に好きなことであり、好きなことなら続けられると先に筆記させていただきました。

ですが、好きであるから1番になれるとは限りません。なぜなら好き同士の集まりだから。

例えば…

私は昔から音楽が好きで歌う事が好きです。
歌唱力の観点からすると「うまい」と言われるレベル、周りの人よりちょっと上手なくらいかなと自己評価しましょうか。
そんな私がカラオケアプリの採点で95点台、音楽関係に詳しくない方からすれば「すごい」、「高得点」と思われることでしょう。
しかし、全国の歌好きさんが集まれば私のレベルは中の上か上の下、上位30%に入るか入れないかくらいです。

サッカーや野球、陸上競技や体操など、どのスポーツや競技にも全国から「好き」が集まります。その好き同士の中でトップクラスになれるのは一握り、そして、トップになれるのは1人だけです。好き同士が集まりその頂点に立つ人間、人はそれを天から与えられた才能と書き、天才と呼びます。

天才には勝れない、勝てないのであれば夢を託し潔くサポートに回るのも美事であると思います。


まとめ

  • 誰でもみんな周りより秀でた何かしらの能力がある
  • 本人からしてみれば、あたり前にできてしまい普通にこなすことができてしまうので、それが秀でた能力だとは気付きにくいもの
  • 親や兄弟姉妹、友人知人に「それ才能だよ」と指摘されはじめて自覚するケースが多い
  • 自身で才能に気付く方法は、「好きであること/楽しく思えること」、そしてなにより自然に続けられること」
  • ただ、「好きであること」と「1番になること」はイコールではない
  • でもいいじゃん、続ければ.。好きなことなんだから。ナンバーワンよりオンリーワンでしょ

最後に

私は毎朝5時半に起床を心がけ、出勤前の1時間程度でblogを綴ります。ほぼ毎朝です。
私自身、この習慣を苦に思うことなく、文章を読み返してはニヤニヤしながら結構楽しんでやっております。

人に話せば鼻で笑われ変人扱い。
「よくやるは」、「何のため」、「何か意味あるの

この問いに対し、「自分の息子や子どもたちの未来ため、後世に遺す言葉の便りです。」と、相手の目を凝視し威風堂々と答えれば今度は変態扱い。

でもいいのです。私は〝好き〟で続けているのですから。

最後に一つ加えさせていただきます。

先に筆記させていただきましたカラオケアプリでの採点の話。

私は一切のトレーニングは受けてなく、ただ友人らと昔にカラオケによく行っていた、一人の時間に口ずさむ程度。
そんな私がウォイストレーニングに通い本格的に練習をしていたら採点はどうなっていたことでしょう。

子育てが一段落し、自分の時間がもてるようになりましたら真摯に向き合ってみたいと思います。目標はYouTube配信。人生とは生涯学びであり挑戦なのですから。

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